アヤポコの雑記*2人目育児中

育児のこと、旅行のこと、仕事のこと。30代の第二子子育て中の雑記です。

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霊感があるって話を聞いて信じられるか?

「この家は気がいいから」と突然言われて、え、何なに?と言う話になった。
今まで友達付き合いをしてきた人との話では出てこなかった種類の話が始まった。
ぱっと聞くとすごくスピリチュアルな話。

『家に盛り塩を置いておくと次の日には真っ黒になっていた』
『 コンビニの前に男の子が座っているなと思ったけどよく考えたら実在する人じゃなかった』
『引き寄せちゃうことがあってすごくたくさん憑いている事がある』
『疲れているときにはたくさん見えちゃう』

個別の話としてはへーそうなんだ、という感じだが、ストーリーが積み重なると「え、本当に見えてるの?」とだんだん話に引き込まれてしまう。
つまり最初は信じていなくて話半分に聞いていたのだ。
霊感があるとか第六感があるという言い方をするのかもしれないがそういったものが見えるという話だった。
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世の中には2種類の人がいて、「左利きの人と右利きの人」「男性と女性」「日本国籍の人と日本国籍じゃない人」そんな括りの中に「霊感がある人とない人」というカテゴリーがあるのかもしれない。
しかし、霊感がある人の割合が極端に少ないか見えている本人が言わないため、私にとって霊や第六感の話はテレビの中や夏の夜の楽しみとしてだけ語られるコンテンツだった。
他の種類の話とは違って現代では左利きであるということを履歴書に書いたり人に話したからといって距離を置かれることはないだろう。一方、霊感があるという話をすると遠ざかっていく人はいるのではないだろうか。

この人、気を引くためにこんな話をしているのかな
霊感なんて漫画の読みすぎじゃないかな
まともな人がそんな話をするわけがない

こんな偏見が私にも確かにあった。
そして過去形ではなく、今もまだ少しある。
いや、少しではないかもしれない。
本当に見えているというのは見えている人同士にしか理解できないのではないか。
宇宙人はいると思うけど幽霊は今までいないと思って生きていた。根拠がないから。非科学的だから。
誰だって自分が信じているものを否定されるのは腹立たしく思うだろう。信じている人、信じていない人と同じように霊感がある人とない人の間には超えられない溝があるのかもしれない。見える人は見えるから信じるし見えない人には見えないから信じられない。
でも、私がコンテンツだと思っていたそれを発言している人との関係によっても信頼度は変わってくるかもしれない。信頼している人や親、自分の子供が幽霊が見えると言い出したらどうだろう。病院に連れて行くより先に一度信じて話を聞いてみるのではないだろうか。
つまり私はその友達のことをまだ信じられる段階にいなかったので話半分で聞いてしまったのかもしれない。

信じられない理由として、占いやイタコなどエセ霊感が商売として利用されている背景も関係している気がする。
でも、よく考えてみるとこんなにも方々で語られ、商売にさえされるということはなにかしら根拠があるからかもしれない。
火のないところに煙は立たない。
昔はみんなに見えていたけど時間の経過とともに感覚が鈍ってきて見えない人が多くなってしまったとか、そういった話かもしれない。

私が彼女の話を信じたかどうかというと、やっぱり半信半疑。
30すぎてから自分にとって新しい概念を取り込むのはやっぱり難しい。
誰から聞くか、どんな説得力を持って聞くかによっても変わってくるかもしれないのだが。
今回話を聞いただけでは既成概念ぶっ壊す!ってところには到達しなかった。
でもやっぱり気になるから時々反芻して、書いたり思い出したりしている。