アヤポコの雑記*2人目育児中

育児のこと、旅行のこと、仕事のこと。30代の第二子子育て中の雑記です。

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片方にしか転がることができない不自由な生き物

娘が寝返りらしきものをした。
自分でひっくり返ったのに、しばらくすると、うつ伏せ状態が辛くなって「うー、うー」と泣き出す。
ひっくり返っても戻れない。
仰向けにされたダンゴムシか、水揚げされた魚みたいに不自由。
人の手を借りることを前提として転がる、そして泣く。
否、むしろ未来のことは何も思い描いていない、1分先ですら。だから転がった後のことは想像していないし、助けてもらう前提なんてない。
誰かが見ていないとお腹が空いて、窒息して死んじゃうような小さな生き物。人間というよりは動物に近い。
その生き物は、さっきまで笑ってたのに突然泣き始めたり、一緒に座っていたと思ったらイビキをかいて寝てたり体は不自由だけど行動は自由奔放。
嫌々満員電車に乗っている大人は体は自由に動かせるかもしれないが、社会の目から逃れられずに不自由な生き方をしている。
娘にも言葉がわかるようになってきたら少しずつルールや規則を教えていくだろう。朝起きたら「おはよう」とあいさつして、ご飯を食べたら歯磨きをして、赤信号では横断歩道の手前で止まってなんて。
ルールは人間社会で生きる上で必須のお約束。ルールを一つ覚えるに従って動物的な生き物から人間へと近づいていく。
よく動物園なんかにいくと、ずっとゴロゴロしているパンダを見てパンダは幸せそうだなーなんて言ったりするけど、決してパンダになりたいと真剣に思っている人はいない。
それと同じで赤ちゃんを見て幸せそうだなーとは思うけど、ミルクしか飲めないなんて悲しい。赤ちゃんの頃に戻りたいとは思わない。
だから体が自由に動かせるようになってきて人間界のコミュニケーションツールである言葉を操れるようになってきたら少しずつ「不自由に」生きるためのルールを教えてあげなくてはいけないのだ。ずっとおもちゃで遊びたくても明日のために早く寝る、トイレに早く行きたいかもしれないけれども他の人が並んでいたら列の最後について待つ。
強制されているうちや、やり方がわからないうちはルールを守るのは大変だけどできるようになってきたり、自分のフィールドにできたら人間界をより生きやすくなるだろうから。
あいさつだってちゃんとできるようになれば人間関係を円滑にしてくれるし、車だって乗れるようになるまでは長い道のりに思えるかもしれないけど一回覚えたら生活範囲を広げてくれる。
不自由な生き物が未来を予測して自分で考えて動くことができるようになるまでは、手を貸してあげよう。